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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)4504号 判決 1989年9月06日

主文

一  被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年四月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告のために、被告の発行する「週刊新潮」誌上に別紙(一)記載の謝罪広告を同別紙三項記載の条件で一回掲載せよ。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  事案の概要

一  被告は、書籍雑誌の出版等を目的とする株式会社であって、「週刊新潮」との名称を付した週刊誌を発行しているものであるが、昭和六〇年四月四日発売の週刊新潮(同月一一日号)の一二八ページから一三八ページにかけて、別紙(二)記載のとおりの要旨の、原告に関する記事(甲第一号証)を原告の実名入りで執筆、掲載し、これを約八〇万部販売した。

しかして右記事は、「『第二の三浦疑惑』という『モルジブ溺死』の花嫁の『夫』の素性」との大見出しのもとに、昭和六〇年一月五日モルジブ諸島における原告の亡妻利恵(以下利恵という。)の死亡の原因に関し、これを溺死とする原告の説明には数々の疑惑があり、原告が利恵に多額の保険金を掛けていること等三浦事件との共通点も多く、さらに原告は右死亡に基づき保険金を取得せんとしたが未だ果たされていないとしたものである。

二  原告の主張

1  本件記事は、大見出しの「第二の三浦疑惑」が如実に示しているように、多額の保険金を掛けられた利恵の死が単なる事故死ではなく、原告による保険金殺人の疑いがあることを報道した記事であることは明らかである。

2  本件記事は、専ら読者の下世話な好奇心を刺激して満足させるという娯楽の目的で掲載されたものであって、本件記事中に記載された個々の事実それ自体から見ても、利恵の死が殺人=「犯罪行為」によって惹起されたとの可能性を根拠づけているということはできないから、本件記事はおよそ公共の利害に関する事項であるということはできない。

3  被告の本件記事の掲載及び販売により、株式会社ザ・パイドパイパー・オフィスの代表取締役として社会的信用も高い原告の名誉・信用は著しく棄損され、原告は多大の精神的苦痛を被った。

4  そこで、原告は被告に対し、慰謝料として金一〇〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六〇年四月一日から完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払、並びに名誉回復処分として別紙(一)記載の謝罪広告をするように求める。

三  被告の主張

1  本件記事は、利恵の死が犯罪によるものと断定したものではなく、またその犯人が原告であるとの断定的な報道をしたものでもないが、利恵の死が溺死であるとする原告の説明は客観的な事実に照らして疑問点が多く、そこで、それらの疑問となるべき事実を報道しながら、右「溺死事故」に対し「疑惑あり」という批評を加えたものである。

2  そして、本件記事が原告の名誉を毀損する内容を含むとしても、以下の3、4項において述べるとおり、本件記事は、公益目的をもって公共の利害に関する事実を報道の対象としたものであって、その記事内容はその主要部分において事実であり、仮にそうではないとしても、被告において真実であると信じるにつき相当の理由があるから、被告は免責されるというべきである。

3  本件記事の公益性・公共性について

本件の、一人の人間の死という事実及びそれを取りまく諸事実は、捜査の進展如何によっては今後犯罪へと発展する可能性を有する内容のものであるから、本件記事中で報道した事実は、公共の利害に関する事項であるというべきである。

そして、被告は、本件記事中において、原告の妻の「溺死事故」という説明に対し、疑問となるべき事実を報道し、あわせて右「溺死事故」に対して疑問を表明することで、捜査機関に対し捜査の端緒を与え、その権限の発動を促すこと等により、事件の真相を解明しようとする公益目的から本件記事を掲載したものである。

4  本件記事の真実性及び真実であると信じるについての相当性

(一) 本件記事掲載に至る経緯

(1) 本件は、昭和六〇年三月二九日、被告週刊新潮編集会議において、週刊新潮の特集記事の候補として初めて議題に上ったが、そのときの本件の概要は以下の内容であった。すなわち、

「昭和六〇年一月、原告夫婦がモルディブへ新婚旅行に出掛けたが、モルディブの海岸は全体に水深も浅く、波静かで非常に安全な国際リゾート海岸であるにもかかわらずそこで妻が溺死した。しかも、その新婦には一億七五〇〇万円もの保険金が掛けられていた。がその保険金は未だ支払われていない。夫には、離婚歴があり、学生運動の活動歴を有し、現在は航空券の安売の代理店をしている。この事件を「第二の三浦事件」=保険金殺人事件の疑惑ありとして、新聞、週刊誌、テレビ等のマスコミが追跡しているが、原告も弁護士をつけるなどしてガードを固めているため、マスコミも書くに書けない状態でいる。」

(2) 編集会議においては、右のごとき事実がこのまま表面化されず闇から闇へ葬り去られることは報道機関としての責務にもとる、疑惑の根拠たる事実が真実であれば報道すべきであるとの判断に達し、週刊新潮編集部主任編集委員山本伊吾をデスクとし取材を開始することになった。

(3) 右山本らは、右疑惑の根拠について、左の<1>ないし<4>記載の者等について取材した結果、下記(二)掲記の疑惑の根拠となる事実が明らかとなった。そこで、被告は同年四月四日発売の週刊新潮四月一一日号に本件記事を掲載することとした。

<1> モルジブヘのツアーを主催した旅行社三和航空サービス吉田慎営業部長(乙第一一号証)

<2> 原告が利恵を被保険者とする生命保険に加入していた東京海上火災保険(乙第一〇号証)

<3> 事故現場の状況及び原告夫婦を発見した後の状況について、現地でそれらを目撃した日本人旅行者(乙第一三号証)、現地のホテルの従業員ムスタフ・アリ(乙第一六号証)

<4> 原告と利恵の夫婦仲について、利恵の大学時代の友人(乙第一四号証)

(二) 疑惑の根拠たる事実

(1) 利恵に多額の保険金がかけられ、受取人の指定にも不審な点があること

すなわち、原告が利恵を被保険者として締結した保険契約は左のとおりであり、その保険金額は総額一億七五〇〇万円であり、収入のない利恵の保険金額としては、極端に高額である。

<1> 保険会社  INA

保険金額  五〇〇〇万円

受取人  原告の実父

<2> 保険会社  ランバーメンズ

保険金額  七五〇〇万円

受取人  利恵の弟が五〇〇〇万円

利恵の母親が二〇〇〇万円

利恵の叔母が五〇〇万円

<3> 保険会社  東京海上火災

保険金額  五〇〇〇万円

受取人  指定なし

(2) 原告と利恵の夫婦関係は冷え切っていたこと

すなわち、利恵の友人からの取材によれば、利恵は原告と別れたいといっていた事実が判明した。

(3) ビアドウ島の海岸は安全な海であり、溺れるという危険性が少ないこと、すなわち、

<1> モルディブ共和国のビアドウ島の海岸は、これまで本件のような溺死事故はなく、安全で快適な国際的リゾート地としての評価を得ている。

<2> 同海岸は砂浜から七〇メートル位のところにサンゴ礁(リーフ)があり、サンゴ確の内側の海は深くともせいぜい六〇ないし七〇センチの水深しかなく、大体は膝程度の深さであり、水は透明で水底は明瞭に見ることができ、波も静かである。まず、このような所では、溺れるというようなことはありえない。

<3> サンゴ礁の外側の海は、右とは比較にならず、急激に二〇ないし三〇メートルの深さとなるが、サンゴ礁が外海にでる際の障害物となっており、内海から外海に出るためには、同島の周囲に五箇所しかない「パッセージ」と呼ばれる通路(サンゴ礁を約二メートル幅で切り取って作った通路)を通らなければならない。しかも、水の色は内側と外側とでは明らかな違いがあり、内側では明るくて薄い青色をしていて水底を明瞭にみることができるのに、外側は濃い青色をし、もちろん水底は見にくくなっているのである。

したがって、ビアドウ島の海は浅い所と深い所とでは水の色を容易に識別することができ、誤って深い所に出る可能性は無い。

<4> 本件「事故」当日は、満月の一日前であり、夜間であってもその月明かりでサンゴ礁の内側と外側の海の色を識別することは十分に可能である。

<5> 利恵が、初めての海で、夜原告から三〇メートルも離れて、水の色が極端に変わる深い外海の方へ足を踏み入れるとは考え難い(利恵が泳ぐことができなかったとすれば、なおのことである。)。

(4) 原告の説明する溺死の状況が不自然であること、

<1> 救助活動の際、利恵は海水と共に、砂を吐いたが、利恵がサンゴ礁の外側の深くなっている地点で溺れたというのであれば、砂を吸入する可能性はない。

利恵が溺れた際、海水とともに砂も飲んだ(吸い込んだ)のであれば、その場所は浅瀬である。

<2> 利恵がサンゴ礁付近で溺れたというのであれば、原告と同じく身体中傷だらけとなっているはずであるが、それもない。

(三) 本件記事中の疑惑の根拠たる事実は、右の取材及びその後の取材によって裏付けられたもので、その主要部分において真実である。そして、右事実によれば、利恵の死が「事故による溺死」であるとする原告の説明に疑問があるとした、被告の批評は相当であり、また仮に本件記事中に真実でない点があったとしても、右の取材経過からすれば、被告において真実であると信じるにつき相当の理由があるというべきである。

第二  争点に対する判断

一  名誉毀損の成否

1  一般に、雑誌記事による名誉毀損の成否は、その雑誌の平均的な読者の通常の注意の程度及び読み方を基準として、右読者が右記事から受ける印象に従って判断するのが相当である。

2  本件記事は、原告が利恵を殺害したとまでは断定していないものの、右記事の内容に加えて、とくに大見出に「第二の三浦疑惑」と記載し、また、記事の中段に三段抜きで、「この『事故』をめぐつて“疑惑”が次々と噴出し、とうとう『第二の三浦事件か?』との声も上り始めたのだ。とにかく登場人物も状況も、何から何まで三浦事件ソックリというのだが……」と記載してあるのを全体としてみれば、本件記事はその読者に対し、多額の保険金を掛けられた利恵の死が単なる事故死ではなく、原告による保険金殺人の疑いがあることを印象付けるものであるといわなければならない。

そして、右のように原告に保険金殺人の疑いがあるとした本件記事は、原告に対する社会的評価を低下させる性質のものであることは明らかであるから、本件記事の掲載及び販売によって、原告はその名誉を毀損されたというべきである。

3  被告は、本件記事が、原告において利恵を殺害したとまでは断定していない旨主張するが、その嫌疑事実が重大であることに鑑みれば、断定を避けたとはいっても、その嫌疑を公表したことで原告に対する社会的評価を低下させる性質のものであったことは右に見たとおりであるから(断定を避けたことによって差を生じるとしても、本件の場合は、社会的評価の低下の程度に差を生じるにすぎない。)、右主張事実は本件名誉毀損の成否に影響を及ぼすものではない。

二1  ところで、一般に、名誉毀損に関しては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、専ら公益を図る目的に出たものである場合において、摘示された事実が真実であると証明されたときは、その行為には違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実を真実であると信じたことについて相当な理由があると認められるときは、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

2  真実性の証明の成否

(一) 本件記事は、利恵の死が「事故による溺死」であるとする原告の説明に対し、たんに疑問を提示したに留まらず、原告の実名を摘示して同人に保険金殺人の疑いがあるとした趣旨のものであって、これを週刊新潮に掲載・販売することによって、原告に対する犯罪の嫌疑を広く世間に公開したものであるから、真実性を証明するに当たっては、原告が保険金殺人を犯したことにつき、客観的に見て相当程度の確からしさがあることを立証する必要があるというべきである。換言すれば、主観的に被告において疑惑の根拠とした事実が存在することを立証すれば足りるというものではない。

(二) そこで、検討するに、<証拠>を総合すると、被告の主張4(二)の「疑惑の根拠たる事実」中(1)、(3)の<1>、<2>、及び(4)の<1>の各事実を認めることができるが、被告の主張4(二)の事実中その余の主張事実は本件の全証拠によるもこれを認めるに十分ではない。

また被告は、本件記事中において、利恵を被保険者とする保険金の受取人の中には、原告の前の妻がいる旨の記載をしたが、証人山本伊吾の証言によれば、右記載事実は誤っていたことが認められる。

(三) ところで、右の認定事実によれば、利恵の死が「事故による溺死」であるとする原告の説明については、二、三の疑問となる事実が存在することが認められるが、それ自体断片的であって、しかも(1)の事実を除いては反対事実の吟味が行われた形跡もなく、したがって、右の程度の事実では、原告が保険金殺人を犯したことにつき相当程度の確からしさがあるとは到底いえない。

そうすると、結局のところ、被告が提起した原告に対する右の嫌疑については、真実性の証明は十分ではないということになる。

3  真実であると信じるについての相当性

前記認定事実に加えて、証人山本伊吾の証言により認められる事実、すなわち、被告は捜査当局からの確実な情報も得ないまま本件記事の掲載に踏み切ったものであって、右記事が被告のした独自の取材に基づくものとはいえ、その取材期間はたかだか数日間に過ぎず、その取材内容も十分とは認め難い、という事実を総合すると、被告において原告が保険金殺人を犯したと信じたにつき相当の理由があるとは、認めることはできない(なお、被告においても、原告を保険金殺人の犯人であると断定することにつき躊躇があったというのであれば、なおのこと、本件記事中において、原告の実名を摘示することは避けるべきであったというベきである。)。

4  そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、本件記事につき違法性が阻却されるか、又は被告の責任が阻却されるのが相当だとする被告の主張は、理由がない。

三  慰藉料の額等について

本件記事が原告の名誉を毀損するものであることは、前記認定のとおりであるところ、本件記事の内容、掲載誌の発行部数、掲載誌の社会一般に与える影響力の大きき、その他本件に現れた一切の事情を総合すると、原告が右名誉毀損により受けた精神的苦痛を慰藉するための金額としては、金一〇〇万円、原告の名誉回復措置としては、被告名をもって、本件記事の掲載誌である「週刊新潮」誌上に別紙(一)記載の謝罪広告を、同別紙三項記載の条件で一回掲載させることとするのが相当である(なお、原告は朝日新聞、毎日新聞、読売新開の各全国版に右謝罪広告を掲載するように求めているが、名誉回復措置の方法については、裁判所の裁量に委ねられていると解すべきであるから、裁判所は原告の右の請求に拘束されるものではない。)。

四  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し、民法七一五条に基づく損害賠償として(原告の本訴請求には民法七一五条による損害賠償請求を含むと解すべきである。)金一〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の後であることの明かな昭和六〇年四月一一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払、並びに、民法七二三条の名誉回復措置として被告に対し右説示に係る謝罪広告を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺剛男)

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